ジャージー種の起源

 大柄で若干威圧感が否めない白黒斑の乳牛・ホルスタイン種(オランダ原産)に対して、小柄で愛着のある濃褐色のジャージ種は、英仏海峡にあるチャンネル諸島の中の英国領・ジャージー島が原産地となっています。
 優秀な産出乳量を誇るホルスタイン種ほどではないですが、優秀な乳質(乳脂肪・タンパク質含有率)を誇るジャージー種も世界各地で飼育されており、バターやチーズの乳製品を多く生産しているデンマーク・ニュージーランド(両国とも世界に誇る酪農大国)を中心に、多く飼育されています。
 ジャージ種の起源を辿って行きますと、フランス・ノルマンディー地方およびブルターニュ地方で飼育されていた「ブルターニュ種(別名:ブルトン種 小黒牛)」と「ノルマンディー種(別名:ノルマン種 乳肉兼用種 大赤牛)」の2種が交雑、後にノルマンディー種の特徴が薄れて誕生したのが、ジャージー種だと伝えられています。
 原産地であるジャージー島民は、本種に対して強い誇りがあり、過去600年の長きに渡って、他品種の交雑を許さずに純粋繁殖がされており、1833年には英国王立ジャージ島農会が設立、ジャージー種の登録が開始されました。英国王室がジャージー種の協会設立に関連している点を観ても、昔から英国民がジャージー種に対して強い思い入れがあったことが分かります。
因みに、日本に初めてジャージー種が導入されたのは、1874(明治7)年に米国からだとされており、ホルスタイン種(同22年)より早く我が国に導入されています。その後も、ジャージー種は官民の手で輸入を繰り返され、1908(同41)年に「日本帝国ジェルシー種牛協会(現・日本ジャージー登録協会の前身)」が設立されています。

 

 現代になると、1953(昭和28)年9月、国内の家畜(有畜)農業を推進するために、政府は「有畜農家創設特別措置法」を制定し、それに基づいて、米国・オーストラリア・ニュージーランドから約1万2000頭が、北海道・甲信・岡山・熊本・鹿児島などの酪農集約地域に導入されたのが嚆矢となり、飼養頭数が約2万5000頭まで増加しました。しかし、国内の牛乳消費が増加するに伴い、産出乳量が乏しいジャージー種は歓迎されず、飼養頭数が漸減し、代わって乳量に優れるホルスタイン種が日本酪農業の中心となってゆきました。現在でも、全国飼養乳用牛の99%がホルスタイン種という完全独占状態であるのに対し、ジャージー種は、僅か0.7%という小割合となっており、北海道、岡山県の蒜山(ひるぜん)高原、長野県の八ヶ岳高原を中心に、約1万頭が飼育されていると言われています。

英国王室とジャージー種

 乳脂肪・含有タンパク質が高く、チーズやバター、ひいてはソフトクリームなどの加工乳製品に最適な牛乳を出すジャージー種なのですが、「質より量」という風潮である日本酪農業界では、ホルスタイン種より乳量が劣ってしまうジャージー種は大歓迎されていないのが実情であります。
 対して、古来より酪農大国であり、原産地でもある英国では(前にも少し述べさせて頂きましたが)、ジャージー種は栄えある大英帝国が産んだ乳用牛として扱われています。その証左として、英国王室とジャージー種の緊密な関係があります。
 1833年にジャージー島にジャージー種の登録を行う「ジャージー島農会(英名:Royal Jersey Agricultural & Horticultural Society)」が設立された、と先述させて頂きましたが、この農会は決して個人や私立企業が立ち上げたのではなく、「英国王室」の手によって設立されたのであり、農会の名誉総裁は、英国王とされています。つまり現在の農会の名誉総裁は、かの有名なエリザベス2世女王陛下でございます。
 余談ですが、2012年に開催されたロンドンオリンピックの開会式で、エリザベス女王陛下が英国俳優・ダニエル・クレイグ氏(6代目ジェームズ・ボンドとして有名)のエスコートによって、バッキンガム宮殿から会場へヘリコプターで登場するという大行事をやってのけるという点を観てもわかるように、英国王室は、日本の天皇家に比べると遥かに開放的な気分を持っていますが、1つの酪農組合というべきジャージー島農会の名誉総裁に女王陛下がなられているという点を見ても、英国王室がジャージー種に並々ならぬ誇りを持っている事がわかると同時に、王室の開放さも筆者は感じられます。
 更に余談を述べさせて頂くと、ウィンザー城内にある王室牧場では一級のジャージー種が飼育されており、そこで生産されている牛乳と乳製品は王室の食卓に饗されているそうです。女王陛下は勿論、チャールズ皇太子やヘンリー・ウィリアム両王子もお食べになられおり、そして以前は両王子の母君であられた故・ダイアナ妃も、そのジャージー種の乳製品を食べられたに違いありません。