海外の馬の去勢史

 前回の記事(日本の馬の去勢史)では、我が国内の去勢史の一部を紹介させて頂きましたが、今回は他国の馬の去勢史について紹介させて頂きたいと思っております。

 

先に結論から言わせて頂くと、昔から海外では東西を問わず、馬・牛・豚などの多くの家畜動物の去勢が行われていました。馬(他の家畜動物もそうですが)を去勢する本来の目的として、『癖が強く、性格が悪い動物の生殖器を排除する事によって、その血統を絶やすため』、そしてもう1つが『気が荒い動物を従順にして管理し易くするため』の以上2点があります。
 海外の人々は、その2つの目的を了解した上で去勢をする事によって、良き血統の馬を世の中に残し、多くの馬を容易に人間に馴致していったのです。海外の人々の中で、家畜動物に対して去勢を行う重要性に最初に理解を示し断行したのは、『遊牧民』と言われています。
 現代では、「遊牧民=放浪者・野卑」というイメージが付き纏ってしまい勝ちになる時もありますが、実は彼らこそ、古来より『開発技術のプロ集団』であり、乗馬の必需品である鞍や鐙は勿論、現在でも洋服ファッションで注目を集めるコート(外套)・パンツズボンやブーツも起点を辿ると乗馬専用服として最初に開発したのが遊牧民でした。これは中国大陸の遊牧民から中国の王朝へ伝わり、そしてシルクロードを経て、ヨーロッパに渡り、最終的にファッションとして流行したと言われています。
 道具だけではなく、動物の生態にも詳しかった遊牧民は、(先述のごとく)より多くの良き馬・人間に従順かつ質の良い家畜動物を得るために、優れた能力を持つ種牡動物以外は全て『去勢』を行いました。これにより遊牧民は、より従順かつ能力に優れた馬、肉質の良い羊を残す事ができ、平たく言えば動物の品種改良を荒削りながら成功させていったのです。
 遊牧民以外の民族(他国)では、3400年前のシュメール(メソポタミヤ文明、現在のイラク中東付近)の粘土版記録では、「牛の去勢」の記録があり、また古代西洋の最大の哲学者の1人とされるアリストテレス(BC384〜BC322)の名著の1つ「動物誌(紀元前4世紀)」にも家畜の去勢についての記述があります。

 

 一方、東洋では、古代中国大陸でも、最古漢字(殷(商)王朝時代・紀元前17世紀頃〜同1046年)といわれる甲骨文字で「豚の去勢」の記録も発見されている上、やや時代が下った周王朝(紀元前1046〜同256)の制度を記した書物「周礼(しゅうらい)」内でも牡馬の去勢の記述があります。また広大な中国大陸全土を史上初めて統一した秦の始皇帝の墓場で有名な兵馬俑(陝西省西安市臨潼区)にある馬俑も多くが去勢馬になっています。

 

 以上の様に、日本は正しく蚊帳の外状態で、古今東西を問わず海外では日常的に家畜の去勢は行われていました。しかしこれが行き過ぎて、海外では人間世界にも去勢を施した男性官吏・宦官(かんがん)や刑罰(宮刑・これは日本にも存在しました)が歴史上に誕生したのも何とも切ない物を感じます。