古来より武道・祭事で欠かせない『流鏑馬』

 以前の記事では、馬を利用する競技の一部について紹介させて頂きましたが、今記事では『馬が使われる伝統行事』の一部について紹介させて頂きたいと思います。

 

日本で、馬が利用される伝統行事の筆頭に挙げられるのは、流鏑馬ではないでしょうか。流鏑馬については、記事「西洋馬術と日本馬術の違い」内でも少し紹介させて頂いておりますが、古来より神事・祭事の奉納式典行事や武芸鍛錬が目的として平安時代から存在していますが、現在でも奉納流鏑馬として、東京・明治神宮、鎌倉・鶴岡八幡宮、京都・賀茂別雷神社、奈良・春日大社をはじめとする日本全国の神社で、定期的に行われています。特に明治神宮の流鏑馬を、オバマ米国大統領やG・ブッシュ大統領が観覧されてニュースなどで話題になった事は記憶に新しいと思います。

 

 また伝統行事としてだけではなく、近年では、日本伝統弓馬術および日本在来馬の保存目的も兼ねて、流鏑馬をスポーツとして普及させる「競技流鏑馬(horse archery)」が働きがあり、2002年には流鏑馬競技連盟が発足しています。
 筆者も個人的に、直に流鏑馬を見たことがありますが、乗り手が、疾走する馬上から的に弓矢を射かける姿は、とても勇ましく、そして優雅でした。この素晴らしい伝統行事が未来永劫続く事を筆者は願っております。

 


(鎌倉流鏑馬の一例。武者姿の騎手が、疾走する馬上で弓を射かける勇姿には感嘆させられます)

賛否両論ある多度祭の『上げ馬神事』

 こちらも、毎年ニュースで話題なり有名なのは、三重県桑名市にある多度大社で、毎年5月4・5日に行われる多度際の『上げ馬神事』です。青年騎手が裃姿(5/4)・武者姿(5/5)で、馬に乗り、高さ2m余りの絶壁坂を駈け上がり、その馬の駆け上がり具合で、今年の米の豊凶を占うのが、上げ馬神事の目的となっています。

 

 上げ馬神事の起源は、「太平記」で有名な南北朝争乱時代の暦応年間と伝えられており、一時期、織田信長の侵攻(1571年)が原因となり衰退しましたが、江戸時代初期、初代桑名藩主・本多忠勝が戦乱で荒れた多度大社の社殿を再建し、更に2代目桑名藩主となった本多忠政によって神事が復興され、現在に至っています。

 

 上げ馬神事の最大の魅力は2mの絶壁を一気に駆け上がる所ですが、人馬共に危険であることは間違いありません。長く深い歴史を持つ伝統行事の1つですので、流鏑馬と同じく末永く続いて行って欲しいと願っていますが、人馬が傷付かない程度の妥協案が今後必要になってくると思います。

 

海外の伝統行事・『トーナメント(馬上槍試合)、ジョスト』

馬上でランス(槍)を使って一騎打ちを行う競技、『ジョスト(Joste)』についても以前の記事に少し紹介させて頂きましたが、2001年に上映された故・ヒースレジャー主演の米国映画「ROCK YOU!(原題:A Knight`s tale)」も、主人公である一般市民の青年が英国で開催されるジョストに参戦し、勝ち抜いていくストーリーでした。
 ジョストは中世ヨーロッパで騎士が台頭した時代(ルネサンス期の11世紀〜16世紀)に誕生した競技であり、ジョストは個人戦、団体戦を「トゥルネイ」と呼ばれ、この2つの馬上槍競技試合を総称して『トーナメント』と言われていました。現在でもスポーツや将棋・囲碁などの対戦試合に使われる「トーナメント戦」という用語は、この馬上槍試合のトーナメントから来ています。

 

 トーナメントは、始まった早々から西洋諸国の官民の間で人気を集め、フランス王のルイ7世の子息・戴冠式典で行われたトーナメントでは、諸国から3000人の騎士が参加した記録があります。王朝などで行われたトーナメントは公式式典の様な分類に入りますが、一般市民の祭典などで行われる馬上槍試合・「遊びのトーナメント」はボホートと呼ばれ、市民の裕福層を中心に好まれ、開催されました。

 

 ジョストは、先述の様にトーナメント内で行われた競技の一部ですが、団体戦であるトゥルネイの前座的競技の位置づけとして存在しましたが、後の中世末期にはトゥルネイを含めるトーナメントが衰退してゆきましたが、ジョストは人気が衰えず、諸国ではジョストのみ単独で開催される様になり、貴族・騎士の娯楽競技として変貌してゆきました。現代でもルネサンス祭りの催し物の一環として行われているのを含め、1987年に英国で誕生した国際ジョスト連盟(IJA)が定めたスポーツとしても未だ生きています。

 


(ジョストの一例)