感銘を受ける馬に関する慣用句・ことわざ

 少し前に、酪農のお話カテゴリ内にある記事「牛から誕生した慣用句・ことわざ」について執筆させて頂きましたが、今回は『馬にまつわる慣用句・ことわざ』の方を幾つか紹介させて頂きたいと思います。
筆者の私見を言うと、牛の文字が入っている慣用句などよりも、馬の文字が使われている慣用句などの方が多い上、強く感銘を受ける物も多くあります。

 

@名馬に癖あり(癖ある馬に能あり、名馬は悉く悍馬から生まれる):優れた才能を持つ者には、変った癖を持つ人が多い、という意味。

 

 歴史上で天才・偉人と称せられる多くの人物の前半生は、誇張もあるかもしれませんが、性格に癖があり、劣等生である青少年である事例が見受けられます。我が国では、「尾張のおおうつけ」と周囲に馬鹿にされ、遂には天下人になった有名な織田信長が真っ先に思い出されます。また時代が下り、明治時代の日露戦争時に、当時の海軍大臣(後に内閣総理大臣も歴任)であり、日本海軍の近代組織化を徹底的に取り組み、日本海海戦の大勝利の最大功労者である山本権兵衛という才人も、青年時は気性が激しい暴れ馬の如く、周囲の悪童と喧嘩ばかりしていた手が付けられない餓鬼大将でした。近世では、「私の辞書に不可能の文字は無い」で有名なフランスの名将ナポレオンと発明家で有名なトーマス・エジソンの両名も、学校では劣等生であった事があまりにも有名です。

 

 皆様の周囲にも、大人子供を問わず一癖も二癖もある人がいるかもしれませんが、もしかしたら後世、信長やエジソンの様な大人物に化けるかもしれませんよ。だから癖のある人を少しでも暖かく見守る目と度量を持つよう努力してゆきたいものであります。

 

A老いたる馬は道を忘れず(老馬の智):老いた馬は道をよく知っており、迷うことがないというので、年長者(高齢者)の知恵や経験はとても重要で尊ぶべきであるという意味。類義の慣用句で、「亀の甲より年の功」というのが世間一般で使われます。

 

 こちらの慣用句の出典は、古代中国思想に代表される諸子百家の一つで、法治主義論者であった「韓非子」説林上に書かれている故事に基づいています。その内容は古代中国・春秋戦国期に、斉国(現・山東省)という国家がありましたが、そこの名宰相である管仲という人物が、山林で道に迷った際、老馬を放ち、それに従って動いたら、進むべき道が見付かったというエピソードとなっています。

 

 皆様も親御さんや上司・先輩といった年長者の方々から口うるさく説教や叱責などを受けた経験が多々あると思います。受ける側にとっては、何とも煩わしいと感じる事があります。しかし、これも厳しい世の中を、我々より長く生き抜いた年長者の皆様が、懸命に得た知識であり知恵であります。
 決して敬遠せず、素顔に我が身の中に受け入れて、少しでも生きる糧にしてゆきたいものであります。

 

B人間万事塞翁が馬(塞翁が馬):人が生きてゆく上で、幸運・不幸は必ず付くものですが、幸せが不幸を呼ぶ場合もあれば、不幸が却って幸福に転じる場合もあります。よって人生の幸・不幸は予測しがたいものであり、それらに一喜一憂せず、生きてゆく意味。同義で他の慣用句で、「人間の禍福はあざなえる縄の如し」がありますが、こちらの方が世間一般には知られているかもしれませんね。

 

 こちらの出典は、紀元前中国の淮南王・劉安が学者に命じて編纂させた思想書「淮南子(えなんじ)」の人間訓内に紹介されている塞翁(とりでの老人)と彼の馬の物語となっています。
ある日、中国北方の塞(とりで)近くに住む塞翁の馬が胡国(異民族・遊牧民国家)へ逃亡してしまいました。塞翁の不幸の始まりです。しかし後日、その逃げた馬が、胡国の名馬を連れて塞翁のもとに帰ってきました。不幸が転じて幸になりましたが、塞翁の息子が、その胡国の馬に乗って落馬してしまい、脚を骨折してしまいました。またまた塞翁に不幸が訪れてしまいました。ところが、その1年後、息子の怪我が治らぬうちに、胡国の軍勢が来襲、中国の帝国と戦争となりました。塞に住む若者も兵士として胡国との戦争に徴兵され、彼らの殆どが戦死してしまう事になりましたが、塞翁の息子は怪我をしていたので、兵役免除となり、戦争へは行かなかったので、戦死せずにすみました。

 

 正に、『人生、晴れる日(良い日)もあれば、雨が降る日(悪い日)もあるさ』でございます!その雨が降っている悪い日(不幸)にいる時は、心中中々、晴れる良い日(幸)もあるさと容易に思えない時もあるかもしれませんが、そんな時は、休んだり、自分の好きな事をしたりして、気分転換を図って、飄々と良い日を待ちたいものであります。

 

 余談ですが、この「人間万事塞翁が馬」という慣用句、約2年前他界してしまった筆者の父が大好きで、座右の銘としていた句なので、私個人としても感慨深い慣用句でもあります。

 

 

C驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば之に及ぶ:驥(名馬)は、1日に千里を走る事ができますが、駑馬(足の遅い平凡な馬)も10日間走り続ければ、また千里に及ぶという意味であり、平凡な人でも目標を持って努力し続ければ、優秀な人物になれるという、つまり『日々の不断の努力の大切さを強調しています。

 

 こちらの出典は、諸子百家の1つで、孔子で有名な儒教から派生した『荀子』修身編に収められている慣用句になります。荀子は、「人間は生来『悪』である。よって学問を行い修身に努めなければいけない」という主義(有名な性悪説)を打ち立てた思想家であり、普段の努力の大切さと修身方法などを力説しているので学ぶ事も多いのですが、この慣用句もその内の1つである事は間違いありません。
 世の中には、慣用句や故事成語、ことわざが溢れんばかりにありますが、実は筆者が一番好きな慣用句は、この「驥は一日にして千里なるも〜」であります。筆者のような凡夫には、何とも励みになる慣用句であります。
『自分に無理なく、合った目標を定め、それに向かい努力してゆけば、頓馬も名馬になる』と荀子という偉大な思想家は言い残してくれています。筆者もこれを肝に銘じつつ、明日、そして毎日を生きてゆきたいと、この記事を執筆していて、改めて思い直しました。無理強いするわけではありませんが、この記事をお読みなっている皆様も、こちらの慣用句を日々の生活の励みの1つにされてみては如何でしょうか。

 

 以上4点、「馬」にまつわる慣用句・ことわざのごく一部を紹介させて頂きました。前回は「牛」、今回は「馬」と順繰りに紹介いたしましたが、世の中には、牛と馬関連に拘らず、まだまだ先人が遺してくれた珠玉の慣用句やことわざが多々あります。こちらの記事をお読みなられている皆様が、これが発端となり、少しでも慣用句やことわざにご興味を持っていただけるようになれば嬉しく思います。筆者もまた今度別の機会があれば、牛・馬は勿論の事、豚や羊などの家畜動物に纏わる慣用句なども紹介させて頂いたいと思っております。